渡邉 熊四郎の歩み 金森倉庫の生い立ち 金森赤レンガ倉庫の四季

金森赤レンガ倉庫の歴史は、初代渡邉熊四郎が最初の事業、金森洋物店を開業したところから始まります。
明治2(1869)年、榎本武揚ら旧幕府軍が降伏し、開拓使出張所が函館に置かれた年、まさに新しい時代の幕開けでした…。
24歳の時に長崎から函館にやってきた熊四郎は、旧金森洋物店(現市立郷土資料館)・旧金森船具店で輸入雑貨や船具の販売等、数々の事業を営むかたわら函館四天王の一人として創設期の函館に数々の業績を残しました。
特に社会、文化事業に果たした役割は大きく、学校や病院の建設、公園や水道施設の整備等、多くの公共事業に私財を投じました。
天保11(1840)年 大分県豊後竹田に生まれる。
明治2(1869)年 洋物店を開業、屋号を森屋、商標をとする。
明治7(1874)年 平塚時蔵、今井市右衛門と共に魁文舎を開設。
明治8(1875)年 上水道の必要性を奨説。のちに公共事業は、学校、病院、公園等へ尽力する。
明治11(1878)年 金森時計店、金森船具店を開業。北溟社を創し北海道で最初の新聞、函館新聞を創刊。
明治12(1879)年 第百十三国立銀行を創立。
明治14(1881)年 函館どっくの元となった、函館器械製造所を創設。
明治15(1882)年 公益の功により北海道初の藍綬褒賞を受賞する。
明治20(1887)年 函館で最初の営業倉庫を開業。
明治29(1896)年 大森浜へ防風林として松苗3万本を植栽する。
家督を譲り、隠居後、自ら名を孝平と改める。
明治31(1898)年 金沢正次を後援し、函館麦酒醸造所設立。谷地頭に「函館ビヤホール」を開店。
明治38(1905)年 私費を投じて再建した函館病院が完成する。
明治39(1906)年 金森商船の元となった金森合名会社設立、倉庫、回漕、船具店と、棒二森屋の元となった渡邉合名会社設立、洋物店、魁文舎、洋服店、時計店、三星店等を分興。
明治40(1907)年 初代逝去
*これらの歴史については、函館ヒストリープラザの展示ホールで紹介しています。
金森赤レンガ倉庫は、多くの皆様にいこいの広場としてご利用いただいております。また新しい函館の顔として、情報の発信源としての役割をも果たして行きます。
そしてまた異国情緒あふれる街並みの西部地区からこのウォーターフロントにかけては函館でもっとも函館らしい趣があり、全国各地からの観光客も年間150〜200万人が訪れます。
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