渡邉 熊四郎の歩み
金森倉庫の生い立ち
金森赤レンガ倉庫の四季
函館ベイエリアの顔とも言える金森倉庫群、現在も数棟が現役の営業用倉庫として使用されています。時が流れても変わらない赤レンガの重厚堅固なたたずまいには、初代の強い信念が見えてくるようです。
物言わぬ煉瓦のひとつひとつが、何よりも雄弁な時代の証言者かもしれません。
▲明治20年頃の金森倉庫写真
明治17年頃から倉庫の必要性を感じていた初代は、明治20年に営業倉庫業に乗り出す。
三菱会社との合併により日本郵船会社となったため不要になった共同運輸会社の倉庫建物、地所を買い取り倉庫業を始めた。創業当初は預かり荷物が不足していたが、明治23年頃には海運隆盛の動きに比例して預り貨物量が増大し、倉庫が不足するほどになった。
明治24年7月12日の函館新聞によると「末広町渡邉熊四郎氏が船場町所有地内に建築の煉瓦造荷物倉庫は梁八間行間二十間高さ十八尺之は平製造所の煉瓦を用ひ屋根は金子製造所の瓦を用ひ然して庫内地上コンクレートにて固め其上に厚板を敷く由にて在来地に上砂三尺余を盛り地伏は既に落成せり此棟梁鈴木歌吉工事費予定八千円八月中落成の見込」となっている。
●年を追うごとに増す預り荷物に対応するため次々と近隣の土地を確保し、倉庫を増築し、営業規模を拡張。
▲再建後明治43年頃の金森倉庫写真
明治40年8月、東川町より出火した火災は街の3分の2弱にあたる12,390戸を焼失する惨事になった。
この大火により金森倉庫は6棟を類焼し、言語に絶する大損害を蒙るが直ちに不燃質倉庫の再建を指示、明治42年5月に完成。
●未曾有の大火から数年、驚く程の早さで復興を遂げ、明治43年には利益をあげるまでに回復。収益では金森倉庫と弁天倉庫が他の倉庫を抜き放していた。
▲金森赤レンガ倉庫改装前の金森倉庫
昭和後期に入ると輸送形態の変化や北洋漁業縮小などの諸事情によって倉庫業はかつての勢いを失っていった。
その一方で建造物としての金森倉庫が注目されるようになり風格のある姿が映画やテレビ、CMなどに写し出され市民のみならず観光客にも知名度が高まって行った。
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